車、カメラ、時計と三大メカニカルものが大好きなxjの徒然なるままに

2008-07-31

+J for S60

今週は火曜から金曜まで新潟。せっかく入れたJ+だが、フォントがやっぱりいまいち。ネットで見るとフォントファイルを削除すればいいとあるが、それってせっかくの日本語がでないということではないの?やってみたいがインスコしようとしたY-Browserがちゃんと入らない。どうもBluetoothでTransferするとファイルの全てがそろわないとの情報あり。帰宅後、即試してみたい。

今はMMSでのメールが出来ないので、E90と6680で使い分けで面倒なので、終末はYaPNにチャレンジ。

2008-07-28

12年前のE90





1996年ロンドンから帰る前に思いきって手に入れたのがPsion Series5。ケースを開くとキーボードがスライドしてくる機構が斬新で、当時の日本製品にないデザインで感心した。OSはSymbian!液晶を傷めて二年ほどしか使わなかったが、スケジュール管理やメールの下書き(もちろんメールは出来なかったので、シリアルケーブルをつないで転送)に重宝した。この機能が実現されていた頃からE90まで10年以上かかったが、次の10年でどこまで行くのか、E90と共に過ごしながら楽しみにしたい。

2008-07-26

Nokia E90 delivery routes


7月17日(木)の夜に発注のボタンを押してからの、delivery経路。
翌日18日(金)夕方には、HongKongで集荷、そして夜、航空便が旅立つ。翌日19日(土)にはすでに成田に到着。運悪く21日(月)は海の日で祝日だったため、通関は22日(火)まで進まず。24日(木)には通関完了で、目黒郵便局で一晩明かしたのち、25日(金)に到着です。
3連休がなかれば、5日程度なので、なかなかのスピードです。

2008-07-25

Nokia E90 has come


予定していたより一日遅れでついにE90がdeliverされた。出張中に家族が受け取り。
結構、大雑把な梱包、緩衝材も入っておらず、これで中身大丈夫かな。袋を振ってみると、かちゃかちゃと、なんか部品が転がっているような音が。。。

課税通知なんてあるのでしっかり税金取られるのか一瞬不安になったが、2,000円で済んだ。


箱はぶつけた後が2箇所、新品?と思わせるようなちょっとしたへたりが気になるが、郵送用の入れ物が入れ物だっただけにまあ納得。

いよいよ本体が現れた。あの値段の割にはあっさりとしたパッケージ。ここらへんが、中身は旧世代の技術を使っていても、機械そのものとパッケージを含めたデザイン力で売っているAppleとの違いか。

これで全付属品。microSDカードはケースから飛び出していた。電源プラグは、懐かしい英国式。アダプター捨ててしまっている、買わないと。イヤホンは、6680のときも思ったが、設計が良くない?6680のときはケーブルにあの材質はないだろうと言うごわごわした硬いもの。今回は、こんなにケーブル長くなくていいいだろ、それとも想定より背が低いの。




そして、あこがれのE90。
この重量感(重い!)と本物らしい質感が、そこらの子供向け日本携帯とは大違い。

そして手をつなぎました。

出張から帰ると

いつもこうやって熱烈大歓迎のまろんです。

2008-07-22

今日は新潟

NHKのプロフェッショナルで町工場の板金職人の話、新幹線の顔をたたきだす。技術の日本イコール大企業の技術力のように考えるが、本当はこういった「技」が日本の力のように思う。経営力もなく、技術力も弱く、技にこだわる日本。いったい未来は何で生き延びるのか。
一方で、この技で生きている会社に、利益だ、生産性だ、バリューのある仕事を、そして企業価値を上げようとターンアラウンドを押し進めるのは、本当に意味のあることなのだろうか?

2008-07-20

Nokia E90 on the way

今日の夕方17:41、すでに発送したのか、Tracking nuberを教えてとメールしたら、なんと18:43にメールの返事があり、先週金曜日18日に発送済みで2-3日後には着くと思う、12時間以内にTracking numberをメールするとのこと。ネットで世界がフラットになったと言うのがThe World is Flatが言いたいことだが、その通りで、いつでも乗換えコストがかからずに他に移れるネットでは、常に顧客に対して真実の瞬間が続くと感じた。

今日は横浜


クイーンズスクエアのDog Garden Deptで寛ぐまろん。

Nokia E90

7月17日の夜、ついにボタンをポチっと押してしまった。
前日の16日にドルが104円台を記録。その日は新潟出張から帰ってきて疲れていたのでそのまま就寝。翌日、ドルが戻し始めた。いつも見ている最安値のサイトを見ると、つい数日前まであった在庫が全くなくなっている。これはチャンス失うとよい方向に考えて、2番目に安いサイトで、即効、メールで問い合わせ、「在庫はあるのか?いつ出荷できるのか?」ものの10分もしない内に「あります」の返事。これは神様がGOサインを出しているとよい方向に考えて、「じゃあWebで購入手続きするから」とメールして、即Webでポチっ。
翌日18日朝9時過ぎ、仕事中に携帯に「Hello!」。てっきり面接中の会社のCEOからのCallかと思っていると、「Google Checkoutで支払う必要ないから、さっき送ったメールは無視してくれ」とわからない話。よく聞くと、昨日のメールの問い合わせでURGENTとあったので、もう出荷手配した、Int'l transactionではカード決済してないのでGoogle Checkoutをお願いするメールを出したが、カードをAcceptするからOkですとのこと。まあ、いつ着くかが勝負だが(そもそも本当に在庫あるのか?)、対応はGood。今のところ好印象。

とにかくついにE90が来る。

2008-07-19

#8 2006~ Jaguar XJ6

Passatも2回目の車検で、何か次の車をと、いろいろ物色を開始。Audi、BMW、Mercedesと定番のようなつまらない車も試乗した。ひやかしでPorche、Alfaも考えたりもした。念のため、一度、Jaguarも見てみようといいうことで、環八のお店に。当時はまだSタイプがあったので、これをターゲットにしていて、試乗もした。感想は、これ本当にあのJaguarという感じで、どう考えても猫足ではない。少しがっかり。ためしにXJに試乗させてもらって納得で、購入欲一気にボルテージアップ。勢いで一度自宅の車庫に入るか試させてと、自宅に向かう。巨大な車体なので、車庫に入らなければあきらめもつくと思ったが、意外とあっさりとはいってしまう。その日は見積書もらって帰宅。 それならと目黒のお店に行って、再度、試乗。今度は、XJ、S、Xとすべてに乗ってみる。やはり、うわさどおり、Sは所詮FordのLincoln、XはMondeo。XJは別格だった。 楽しい悩みで悶々とするなか、店長も背中を押し、家内が背中をどんとついたので決定。 ちなみにいつもの目黒通りからの坂道はすいすいと加速。実は、試乗で、わざわざこの坂を登りに行った。 子供のころからくるまが好きで、あこがれのくるまでもあったし、会社生活の初期に英国出張で乗ったJaguarの乗り味が忘れられず、それがMy Carとなった喜びは大きい。新車のJaguarは少し気恥ずかしいが、長く乗り続けて、古典にしてゆったりと乗りたいくるまである。

#7 2001~2006 Volkswagen Passat

Passat Wagonが2回目の車検。
Volkswageのお店に行くと、新型車が発表中。何気なく旧型車は、まだ残っているのと聞くと、ありますとのこと。俄然、いくらになるのと言うことで、購入モード。いつもの営業も慣れたもので、(前回もそういう買い方だったので)売り込みモード。結局、昼ごはんも食べずに、数時間交渉してお買い上げ。

このくるまのかわいそうだったのは、納車されたその日にVolkswageのお店から帰りしなに、変なおっちゃんの自転車に、フェンダーに傷をつけられたこと。そのまま、Uターンでの、傷の処理をしてもらった。

ようやく好きなセダンに戻ったので満足。デザインは派手でないし目立たないが、当時のAudiなんかよりは少しはあか抜けていたと個人的には思う。その後Audiは大きく進化したしマーケットの人気を得たのは事実だけれど。

走りは相変わらずで、自宅そばの目黒通りから住宅街に入る坂道でアクセルを踏んでも、ターボがよいしょっとという感じでふんづまりしてからなけなしのパワーが出るという感触で、がっかり。

この坂をすいすい登りたいというのが、今のくるまになった最大の理由。

#6 1996~2001 Volkswagen Passat Wagon

95年から英国留学で家族で家を留守にすることになったので、Jettaはヤナセのいつもの営業経由で売却。帰国後、すぐにヤナセに行ったがいつもの営業はもういない。それならと近所のVolkswagenをまわっていたら、若くて明るい営業に出会ったので、そこで買ったのがこのPassat Wagon。まわりはワゴンが流行っている時期で、本当は大嫌いなデザインのワゴンだが、家内の希望もあって決定。

ちなみにこれは新型車が発表された後の旧型車。保税倉庫に残っていた3台だか5台のうちの1台。色は指定できたし前から一度欲しかったサンルーフ付きもあったし、大幅値引きで即決。これ以降2台は旧型車を新車で買うのが基本となった。

子供たちが10歳近くぐらいまでの時期、サッカーボールやいろいろがごろごろと乗っているようなくるまだった。くるまとしては、可もなく不可もなく、ドイツで郵便屋の車といわれるだけのくるまである。少しはJettaより静かにはなったが、アクセルを踏んでも加速しないくるまだった。

#5 1992~1995 Volkswagen Jetta

Lanciaから乗り換えようかどうしようかと迷いながら、ヤナセ本社で車を見た。二度目に見に行こうと東関東道路を走っていたら100kmを軽くオーバーの速度で、突然、タコメータと速度計がゼロに。あれっ、電気系統がおかしいのかなと思ったが、アクセルに車が反応しない。エンジンが一瞬で停止していた。追い越し車線から4車線分くらいノーブレーキで移動しながら、止められそうな路肩を探して、一発でブレーキング。(エンジン停止だとサーボが効かないので、一回しか油圧がかかった状態でのブレーキングはできないので、皆さん、ご注意を)緊急電話まで歩いてJAFを呼んでバッテリーを急速充電してもらう。そのまましばらく走って高速出口から出たところで再度エンジン停止。今度はなじみのヤナセの営業に電話して、迎えに来てもらう。(当時は携帯電話もなく、近所の町工場で電話を貸してもらうが、変な目で見られて大変だった)サイド充電後、ヤナセまで伴走してもらう。結局、この日、Lanciaはヤナセに引き取ってもらい、中古のJettaがうちに来た。

買い換えようかなという考えに敏感に反応したLanciaが、なんとなく機嫌を悪くした女性のようだった。

このJettaは完全なファミリーカー。ベビーカーがゆったり入るトランクを買ったら、車がついてきたと言われ続けた車でもある。ちなみに、これがはじめてのオートマ車で、これ以降マニュアルには載っていない。今はもうない3速オートマで、100kmだすとラジオの音は聞こえず、声を張り上げないと助手席の家内とは会話ができなかった。

#4 1989~1992 Lancia Prisma 1.5ie

3台目のAlfaはインド出張の間に売却したので、帰国時に車がなくて不便だった。以前から通っていた等々力のガレージ伊太利屋で帰国した週末に買ったのがLancia Prisma。Alfaを買う前にここでLancia Beta 1.3に試乗しており、等々力から横浜の山手までドライブして、その軽快さに惹かれていた。すでにBetaは販売終了で、新車で手に入るのが、このPrismaだった。
そろそろ落ち着きたいなと言う気持ちもあり、4ドアのセダンにした。普段はモダンな内装で品のある運転(?)で、その気になれば飛ばせるのが魅力だった。と言っても、ほとんど飛ばしてばかりだったが。
この車に乗っている間に結婚して、子供もできた。左ハンドルでマニュアルなので家内が運転しづらいのと、高速道路で走行中にエンジンがストップしたのが致命的だった。高速道路の路肩を、緊急電話を探して100mほど歩くのが、あんなに怖いものとは思わなかった。お腹の子供が気になった家内にも怖い思いをさせた。と言うことで、結局、1度も車検を通すことなく、即売却の決断で、中古のJettaと交換となってしまった。
コンパクトで4ドア、安っぽくなく、デザインも洒落ている(ちなみにPrisimaはGiugiaroのデザイン)、そういうくるまが増えるといいな。

#3 1987~1989 Alfa Romeo Alfasud Sprint 1.5 Quadriforio Verde

ここから車好きが爆発。一年落ちの中古で購入。当時の取り扱いディーラーだった日英自動車に声をかけておいたところ、たまたまこれから会社の寮から外出しようとしていた日曜日のお昼前に、電話ですと呼び戻されて予定変更芝浦へ。整備工場に佇む姿を見て、くらくら、試乗して、即お買い上げ。水平対向でスムーズな高回転。ハンドルを切る前に方向を変え始める(気がする)車は、これが最初で最後。秘密は、インボードのブレーキシステム、バネ下荷重を低減するために、ブレーキはサスペンションにぶら下がっているのではなく、エンジン側についている。これが回頭性の向上につながる。ただし、ブレーキオイルパイプがエンジンやギヤボックスの上を這っており、ハードブレーキンングを繰り返すと、簡単にベーパライジング。箱根を登ったり下ったりで一度、筑波の走行会で一度、もう少し走っていたら、箱根の崖下か、最終コーナーのフェンス乗り越え。当時のアルファは壊れる壊れる。ショックアブソーバーが抜ける、ブロワーレバーが折れる、ブレーキのオーバーホール、エンジン下ろしてオーバーホール、フロントガラス内側に雨漏り。。。修理工場に入れる前は「もう二度とこんな車、誰が乗るか」と憤慨していたが、戻ってきたアルファを乗って帰る間に、「やっぱりアルファ」とべたぼれ。結局、一度も車検を取らず、2年乗って、インド出張の間に売却。数々の修理とインド出張、そして2ヶ月の免停で、実質、1年程度の付き合いだった。

#2 1982~1987 Nissan Bluebird 1800 Turbo SSS

初めての新車。ここから、車は買ったまま使う主義に転向。でも新車一年経たないうちに事故で大破、多分、一生分の保険代を前取りした。トランクが半分無くなって、ドアとルーフが10cmも空いているのを見たのはこれが最後。結局2度は車検を通したが、5年で売却。

#1 1977~1982 Toyota Corolla Coupe 1300

初めての車で、初めての大きな買い物。値切ったり、おまけをつけてもらったり。最初で最後の、いろいろと手を入れたり飾ったりしたドメな使い方をしたくるま。2年落ちの中古で買って、結局学生時代に5年乗って就職時に売却、アジアの国で余生を過ごしたと聞いている。一番古くまで乗った車。

モノクロ写真

初めて意志を持って写真を取ったカメラは、家にあったオリンパスペン。ハーフサイズで高価なフィルムが倍使えて、格子状のガラスのパーツが印象的だった。
初めて自分で買ったカメラは、キヤノンAE-1。シャッタースピード優先で、ファインダー内の絞り値を確認しながら、ボケぐあいの良い絵が忘れられない。
その後、銀鉛式のバカちょんカメラが3—4台、防水カメラが2台、APSカメラが1台。最後の銀鉛式カメラがニコンF60。子供たちの写真は撮ったが、カメラ自体にこれと言って記憶がない不思議な機械。
初めて買ったデジカメがパナソニックLUMIX DMC-F7。ライカの名前のついたレンズは、思い込みであっても、深い色合いが印象深かったが、最悪3—4枚でバッテリー切れ。バッテリーを気にせずバシャバシャ取れたカメラがカシオEXILIM EX-Z50。その分、印刷することもなく、意志のない画像

新しくなるごとに機能が付加され自動化され便利になったカメラ。
でもそれと同時に人間味のない機械になった。
機械には意志が宿っているものと思う。

人生の最後に使っていたいカメラは、そういう機械でありたい。

2008-07-17

2008-07-15

新潟の海

7月から新潟の空港のそばに出張が増えてます。空梅雨で今は過ごし易いです。

2008-07-14

Garage Morris

目黒通りの英国車屋さんは時々チェックに行く店。去年の暮れにはSprint Spriteがあったが、先週の日曜日はMorrisがあった。将来はやっぱりVanden Plasかな。

まろん

今年の1月に我が家に来たまろん。7ヶ月の女の子です。

2008-07-12

これは携帯からの初めての投稿。

mobileからのblog投稿

携帯から投稿できるとのことで、これからトライ。
そうすると時間の空きに移動中でもまめに更新できるかも。