車、カメラ、時計と三大メカニカルものが大好きなxjの徒然なるままに

2011-10-09

Deepest Condolence on the Loss of Steve Jobs

2011年10月5日。
Steve Jobsの訃報は、同世代として大きな喪失感です。

70年代後半に、「アメリカにこんなおもろい連中がおるで」と教授に言われて「そうですか」ぐらいの感受性でした。当時は大型計算機と言われていたIBMや富士通でパンチカードを計算機センターに持ち込んでバッチで計算をかけていました。それがTSSで研究室からログインできた日は感動しました。だけと呪文のようなJCLは最後まで呪文でした。

82年に会社に入ってもメインはIBM大型機。それがIBM PCを導入するからBASIC覚えろと言われて、出張時の新幹線で「はじめての~」みたいのを読んだのを覚えています。今から思えば幼稚なものです。

84年に入社3年目で大枚はたいてMacintosh128Kを購入。(今も倉庫に眠ってます)寮の部屋でマウスが画面上で絵を描くのを見た日は、夜遅くまで同期と語り続けて感動でした。そのまえにも同様なGUIを提供するゼロックスのStarは会社にありましたが、あくまで会社の資産。個人が買って持つことができることが当時の社会的状況とマッチしていました。実際にこの当時はあの大きさのMacを肩掛けケースに入れて持ち歩いていました。

この後の最大の感動は、80年後半に、はじめてJUNETで米国国会図書館の文献検索をして論文が表示された瞬間でした。情報がただになると言うのが素朴な感想で、そういうレポートをその日のうちに書いて報告した覚えがあります。この日は一日夜まで身体が熱かったです。

思い返すと、入社時に与えられた机の上には、黒電話と電卓、社内依頼書の帳票、カーボンコピー紙、Gファイルに文房具と鉛筆削り!情報はすべて紙。資料は地下書庫のファイルかフィルム。コミュニケーションは、もっぱら電話かテレックス。

あれから30年ちょっと。ほとんどの情報はコンピュータかネットワークの中。机の上もパソコンと携帯。この30年間、初期の頃から言われてきた「At Your Finger Tips」と「AnywhereAnytime」は実現して世の中はまったく変わりました。

それでも知識を生み出す活動はまだ30年前と大きく変わってないと感じています。人が集い、人が語り、気づき、触発され。また、World Cafeのような場が効果あるように、言語的な表現よりは絵的なものが創造性を生むようにも思います。

知識の進化。
構造化できない、固定化できない、湧き出る知識。それも一人でなく世界に散らばるチームとしての進化。それを情報技術でどれだけ実現できるのでしょうか?

30年後に振り返ってそういう変化をまた見ることができると楽しみにしています。


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倉庫から引き出してきた愛機Macintosh 128k。
これがその誰でも持ち運べるコンピュータの姿。当時はキャノンが代理店だった。


[RICOH GR Digital III 28mm F1.9]

個人所有のこれを会社に置くのだけでも物議をかもした古きよき時代。
今でもこのデザインで売れば十分いけると思うすばらしいデザイン。



神は細部に宿る、は30年前から変わらずのJobsらしい世界。






ラベルに、Apple Computer, Inc. Cupertino Model Number M0001とある。
ここから始まった。



この1枚のフロッピーにOSとアプリが入っていて、マウスで絵が描けたこと自体が脅威だった。マウスの動きと画面の絵の追従性は今でも違和感がない速度だった。



電源を投入するとポーンとAppleらしい音がして、画面が表示される。
今回はフロッピードライブがもう壊れていてOSは起動できない。




Jobsと一緒に逝ったみたいで。。。ともに30年、ありがとう。
合掌


最後にJobsが1984年1月にMacintoshを発表したときの動画。
http://www.youtube.com/watch?v=G0FtgZNOD44
Googleが削除しないよう、大人の対応を期待します。