車、カメラ、時計と三大メカニカルものが大好きなxjの徒然なるままに

2011-03-11

earthquake


[Nokia E72]

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東日本大震災に被災された方々にお見舞い申し上げます。一瞬にして最愛の方を失われた悲しみと苦しみは想像を絶します。本当にがんばってください。今も被災地で救援活動をされている方がた、そして原発サイトで命を賭けて闘っておられる方々に敬意を表します。皆さんの安全を心からお祈りします。ご安全に。
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午後一の会議も終わりに近づいたころ、ゆったりとした揺れが始まった。また地震かと思っていても、なかなかいつものように揺れが収まらない。建物の影響か、揺れ幅が大きくなってくる感じがして、長いなと思っていると大きな揺れがきた。窓から向かいのビルと1m近くずれて建物が揺れているように見えた。キャビネットは今にも倒れそうだし、これが大震災かと覚悟した。

社員全員が建物の外に避難してからも、まだ余震がきて、地面が大きく揺れる。近所で解体中だったボロ屋が半壊していた。2時間近く屋外で待避。夕方からの会議中も4-5回大きな余震。

結局、7時過ぎに会議を終えて、徒歩で帰宅。近所の立ち食いそば屋でそばを食べて、コンビにで徹夜も覚悟して、チョコとウィスキーを入手。街は秩序だって、グループでの帰宅組みも多く、皆が落ち着いた気持ちで整斉と歩く。車は交差点で詰まってしまって動かない。それにもかかわらず赤信号を待っている人たち。帰宅途中唯一あった自転車屋さんでは自転車を買う人がいっぱいいた。それでも道端においてある自転車は、盗られずに置いてあるまま。この国も捨てたものでないなと感じた。

結局、人形町から銀座、田町、白金台まで徒歩で2時間半。歩けばあと1時間だが、目黒通りが車が流れていたので安心して家内に連絡して車で迎えに来てもらう。20分程度で来てくれたのだが、帰りがはまった。車なら20分もあれば着く距離だが、まったく動かず、2時間。家に着いたのが夜中の0時半。自宅は既にあちこち物が落ちたのを片付けたあと。大きな被害がなくてほっとした。

[RICOH GR Digital III 28mm F1.9]

それでもこの時間に家につけたのが幸いだった。
やはり途中10時過ぎまで家族と連絡が取れず、これが一番心配だった。
連絡手段をもう一度家族でしっかりと確認しあいたい。